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大学センター入試 日本史B 私的考察

大学センター入試 日本史B 私的考察

試し解きしてみたら凹むほどの結果が出ました。プロ失格。

 第1問はやや難。個人的にこの時代が弱いからというのもありますが、凹みました。Aの問1の判断は、文章を読んでX−Yが南北を走る道路であることを理解していれば、一つがdであることはわかる。墳丘の長さを求める問題は厳しい。用語集の条里制の項目を見れば、1町=約109メートルという記述があるが、知っている人は少ないだろうし。図を見ると全長は2町分ほどあるので、約280メートルで正解。問2のIIとIIIは、聖武天皇の遷都順を覚えている人だと、恭仁京難波京→紫香楽京だから、III→IIの順だと思っただろうが、この詠み人を見るとIIが「藤原宇合」で、IIIが「橘諸兄政権下の大伴家持」とある。藤原宇合といえば藤原四家の一人であり、橘諸兄政権の頃には死んでいたことは基本事項。というわけで、II→IIIの順が正しい。問3。公営田は太宰府に置かれたもの、という知識を知っていればOK。問4。難しい。建物の造りを判断するのはきびしい。密教の文化としては曼荼羅の知識は覚えておきましょう。

 第2問。Aの問1。『十訓抄(じっきんしょう)』は説話集であることを知っていれば『海道記』が正解とわかる。この時代の紀行文なら阿仏尼の『十六夜日記(いざよいにっき)』も是非。

第3問。Bの問2は、IIIが最後というのは問題ない。『新古今和歌集』と御成敗式目のどちらが先かという話になるが、『新古今和歌集』が承久の乱の当事者後鳥羽上皇の選であり、承久の乱後鳥羽上皇隠岐に流されたということ、それから、御成敗式目出先機関にあたる六波羅探題承久の乱以後に出来たこと、を総合すれば、I→II→IIIが正解となる。Bの問4。一条兼良二条良基。名前が似ているけど間違えないように。一条兼良は『樵談治要』で有名。

 第4問。Bの問4。複数の村にまたがって起こった請願運動は国訴。村単位より大きい国単位でおきた(別に国単位に限った話ではないが)と覚えれば間違えない。

 第5問。問4は迷うかも。内容は間違ってないが、Xの秩父事件は1884年の出来事なので、設問の1890年代の出来事という条件に合わないので誤です。

 第6問。Bの問題はまるで現代社会の問題かと思いました。知識が無くても、グラフが読み取れれば正解が出せます。楽勝。問4のウは、生糸か綿製品で迷うかもしれないけど、リード文に「ヨーロッパ諸国が後退したアジア市場には、……」とあるので、綿製品が正解。何故かというと、生糸は高級素材だから、まだ経済的に弱いアジア諸国よりアメリカやヨーロッパ諸国で売れていたものなんです。


 僕がある程度予想していたとおり、東アジア関係や近現代経済史などが出題されましたので、一応面目躍如といったところかな。


作成日: 2006年1月23日(月) 15時34分